ちょこたんちわわん日記

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全ての人間は生まれながらに◯刑囚である。

これはパスカルの考えです。

みな◯刑囚であり、それらを仕事や娯楽、恋愛などで気を逸らしているにすぎないという考え。私はすごく好きです。確かに悲しい考えではありますが、事実を語っているにすきまません。寧ろ悲しい現実を真正面から向き合うからこそ見えてくるものもあります。

◯刑囚であるというなら、「〇〇すべき、あるべき」なんてことは何一つもなく、

真の意味で重要なことは何一つなく、

全てが茶番で、一コンテンツに過ぎない。

良くも悪くも好き放題に生き良いんだと思うことができます。



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Bel Amer

美味しいチョコレートを人からいただきました。一つ一つが芸術作品のように作り込まれており、カカオの深みのある味わいと、もちもちのゼリー菓子のような食感がマッチして絶品でした。



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アイヒマンは悪人ではなかったのか?

アイヒマンの主張は、自分には選択の余地がなかったと主張することで、自分の行動に対する責任を免れようとしている。しかし、この理屈は、個人は常に自分の行動にある程度の主体性と道徳的責任を持っているという事実を無視している。アイヒマンは外部からの圧力や命令に直面したかもしれないが、それでもなお、積極的な決定を下し、ホロコーストの実行に重要な役割を果たしたのである。

不道徳な命令に疑問を抱かなかったこと アイヒマンの主張は、上官からの命令に盲従すれば、個人の責任は免除されるという前提に立っている。しかし、歴史は、残虐行為や基本的人権の侵害を伴う命令に対しては、個人が疑問を呈し、拒否する道徳的義務があることを示している。アイヒマンが自分の行動の道徳的意味を批判的に検討することを拒否したことは、道徳的勇気の欠如と個人的責任の放棄を示している。


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